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令和4年11月3日、令和の大改修を終えた岡山城がリニューアルオープンしました!
オープン当日には、岡山城鉄砲隊が祝砲をならし、武将鯛の演武合戦があったりと、
華やかなイベントがありました。
現在も、プロジェクションマッピングや本丸内のライトアップなどがあり(11月27日まで)
とてもきれいです。
イベントに伴い、天守閣の入館時間も9時~20時30分(最終受付20時)に延長されていて、
仕事帰りに見に来られた人や、デートで来られた人などでにぎわっていました。
岡山城は、別名「烏城」と呼ばれる漆黒の城です。
工事中は幕に覆われていた天守閣ですが、
工事が終わって幕が外されると、外から見ても「きれいになった!」と感じます。
黒はますます真っ黒になり、
屋根瓦の金が、前よりピカピカに輝いてます!
天守閣の中に入ると、展示が分かりやすく工夫され、おもしろい体験もできるようになっていました。
例えば、展示品の刀や火縄銃を、実際に手で持つことができるコーナーがありました。
刀は思ったより重くて、実際にこれで勝負するには、
腕の力がかなりいるなあっていう感じでした。
馬や籠に乗れるコーナーもありました。
年賀状用に写真も撮りましたよ(笑)
今日は夜にきたので終わっていましたが、
昼間はお姫様、お殿様の着付け体験もできます。
備前焼でオリジナル作品を作ったりもできるそうです。
展示品も面白かったです。
今までは、鎧などはきれいに並べて展示されていましたが、
今日行ってみたら、人形が鎧を着てリアルな姿で立っていました。
これはわかりやすい!
それで気が付いたのですが、
当時の武将は、こんなに身長がひくかったのかしら?
なんだか、中学生ぐらいの身長です。
大きめの子なら小学校高学年でこのくらいあるかも・・・です。
帰宅して、ネットで調べたら、
戦国時代の平均的な男子の身長は155cmだそうです。
なるほど、関ヶ原の戦いも、このくらいの身長の武士が激突してたのかと思うと
なんか不思議な親近感がわきます。
岡山城は、第二次世界大戦の岡山空襲で焼失し、
昭和40年代に天守閣だけが再現されました。
子供の頃の私のイメージでは、失礼にも、「丘の上のちっちゃいお城」って感じでしたが、
実際は建物がたくさんあり、外堀は遠く柳川筋のあたりに有ったそうです。
(現在は埋め立てられています)
天守閣の中には、焼失前の岡山城の模型もありました。
これほどのものが戦争で燃えてしまったんだなと思うと、もったいないです。
岡山城をこの地に作ったのは、浮田直家、秀家親子です。
浮田秀家は絶世の美男子だったそうです。
肖像画が残っていますが、ジャニーズ系のお目めぱっちり系の顔です。
豊臣秀吉に気に入られ、加賀の前田家から豪姫を妻に迎え、幸せに暮らしていました。
しかし、秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いでは西軍で戦い破れて、八丈島に流されました。
豪姫は前田家に帰されましたが、秀家の2人の息子たちは一緒に八丈島に流されました。
息子たちは母の豪姫を恋しがって、肖像画をなでていたそうです。
展示品の中に、なですぎておでこの色が剥げてしまった豪姫の絵がありました。
浮田家が許されたのは、明治維新の後といいますから、
この子たちは生涯母親にあえなかったのでしょうね。
リニューアル前の岡山城にも何度か来ましたが、
今のほうが、断然わかりやすいです。
新しくなった岡山城を見に来てくださいね。