平教経が一喝したという鷲羽山から下津井沖を臨む
1184年、水島の合戦で大勝した平家は、更に東へと兵を進め、
現在の神戸のあたりまで攻め上り、一の谷に布陣しました。
主力の軍勢は一の谷に集結し、
先に大勝した水島付近では、
下津井を平教盛(平清盛の弟)と教盛の子どもの通盛、教経が守っていました。
こちらが手薄になったとわかるやいなや、
これまで平家に味方していた讃岐や阿波の兵士や役人たちが源氏に寝返って、
下津井を攻撃してきました。
まったく油断も隙もないというか、
源氏にせよ平家にせよ、当時の武士はしたたかですよね。
わずか2か月ほどの間に6か所で反乱が起きましたが、
いずれも平家が鎮圧しています。
地元では、勇猛で知られる平教経が迫りくる讃岐や阿波の軍勢を一喝すると
反乱軍は弓を射かけることもできず、震えあがって逃げ帰ったと伝えられています。
このころの平家は、まだまだ勢いがありました。
京都に戻れる日も間近と希望を持っていたことでしょう。
まさか、一の谷に布陣した平家の主力が敗れるなどとは、
夢にも思っていなかったのでしょう。
次回は、一の谷の敗戦後に起きた藤戸の合戦についてお話します。