楽しい! おいしい! 岡山県

岡山県の 楽しい場所、美味しい食べ物、美しい風景をご紹介します。小さなお子さん、歴史好きの方、鉄道ファン、フルーツ好きの方、お祭りが好きな方、晴れの国岡山へぜひどうぞ。ドライブや旅行の予定をたてるのにご利用ください。

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                      (写真:岡山県)

渋川海水浴場が3年ぶりに海開きしました!

 

期間は、7月9日~8月21日まで、

 

と、新型コロナに配慮して短めですが、

 

思いっきり海を楽しみましょう!!

 

では、さっそく、渋川海水浴場について、詳しくご紹介しましょう。

 

 

県下最大の海水浴場

 

渋川海水浴場は、約1キロメートルの砂浜が続く

 

県下最大の海水浴場です。

 

その美しさから、「日本の渚百選」「快水浴場百選」にも選ばれています。「

 

沖合には瀬戸内海の島々や瀬戸大橋も見えます。


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中でも人気なのは、写真の三角形の島。

 

通称「おにぎり島」。

 

かわいいでしょう。

 

本当の名前は、「大槌島」なのですが、

 

「おにぎり島」といえば、「渋川から見えるあの島だぁ」と分かります。

 

砂浜から歩いて行ける所に、

 

小さな水族館やカフェ、ランチバイキングをしているホテルもあります。

 

渋川は、コロナ禍前の2019年には約5万人が訪れていた人気の海水浴場です。


穏やかな優しい海
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写真は、普通の日に渋川海岸に打ち寄せる波の様子です。

(台風の日は渋川海岸でも大荒れですから、海に近づかないでくださいね)

テレビの天気予報を見るとよくわかるのですが、

日本海側や太平洋側で波の高さが1mのときは、

瀬戸内海の波の高さは50cmです。

穏やかで優しい海は、小さいお子さんの「海デビュー」にもぴったり!

ご家族で楽しい思い出を作ってくださいね。


海水浴場には、海上アスレチック「ウォーターパーク」が浮かんでいます。

フワフワのフロートの上を歩き、太鼓橋を渡り、

滑り台から海にザブーン!!

ウォーターパークはライフジャケットをつけて遊びます。

遊具上は大変滑りやすくなっているので、


ラッシュガードやマリンシューズ、マリンソックスの着用がおすすめです。


(身長100cm以下の人は、利用できません。10歳以下は、必ず保護者の同伴)


45分毎の総入れ替え制です。

     当日料金:大人1800円 小学生以下1500円
  WEB予約料金:大人1600円 小学生以下1400円

  2022渋川ウォーターパークWEB予約



美しい瀬戸の海のサンセットは、とてもロマンチック。

大切な方との思い出作りにも最高ですよ!


バーベキューは砂浜の東の端の指定場所でのみ可能。

花火は夜9時台までです。

夜10時から朝7時まで花火禁止になっています。



渋川カブーロ 浜茶屋

浜辺の松林のすぐ横にあるおしゃれなカフェで、ロケーションは最高!


お食事やスイーツが楽しめます。

かき氷も、どれもおいしそうですよ。

夏は「海の家」として、水着でも利用できます。

予約すれば、ディナーもOKだそうです。(要予約)

カブーロ 浜茶屋 ホームページ


ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル

ここは、レストランサンセットでランチバイキングをしていて、

我が家も、たびたび利用しています。

海はとっても楽しいし、子どもは大喜びだけど、

荷物番の私は、とにかく暑い!

それでも文句を言わないのは、ランチバイキングに行けるから。(笑)

ホテルの中は涼しいし、海を眺めながら優雅な気分で、

おいしいものをおなか一杯食べて、

シメ(?)は、アイスクリームを大盛で。

もちろん、主人や子供も大満足です。

他にも、和食、焼き肉、鉄板焼き、軽食、お土産販売と、

いろんなお店が入っています。

ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルは温泉もあり、

日帰り入浴も楽しめますよ。

ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルホームページ


洋食屋さんボヌール亭

駐車場の横にある洋食屋さんボヌール亭は

本格的な洋食をリーズナブルな価格で食べさせてくれるお店です。

落ち着いた雰囲気の所で、ゆったりお食事を楽しめますよ。


渋川マリン水族館

海水浴場に隣接する渋川マリン水族館(玉野海洋博物館)は

渋川に昔からある小さな水族館です。

開館したのは1953年(昭和28年)ですから、

創業69年になりますね。

私も初めて行った水族館は、ここでした。



小さい分、入場料もリーズナブルで

  大 人 500円(15歳以上)(15歳の中学生は含まない)

  小 人 250円(5歳以上15歳未満)(15歳の中学生を含む)

玉野市立ということで、公営なので割引も充実しています。

 無料で入館できる方

  ・玉野市の65歳以上の方
   (玉野市シルバーカード、免許証等で、住所・氏名・年齢の証明が必要)

  ・視覚障害者の内1級~2級の障害者手帳をお持ちの方

  ・下記の「半額で入館できる方」のうち小人の方

 半額で入館できる方

  ・障害者手帳1級~4級

  ・療育手帳

  ・特定疾患医療受給者証

  ・精神障害者保健福祉手帳

  以上の手帳を持っている大人と大人の介護者1名


 ほかにも、団体割引や年間パスポートもあります。

渋川マリン水族館ホームページ


渋川海水浴場の水質は以下の通り、安心して水遊びができる数値です。

令和4年度海水浴場開設前の水質調査結果

  水質判定: A

  ふん便性大腸菌群数:2未満

  油膜:なし 

  Cod2mg/L以下

  透明度:5m以上

  O-157:不検出

  大腸菌数:2未満
 (玉野市公式ウェブサイトより引用)


気になる新型コロナ対策は、以下の通りです。

 

渋川海水浴場の新型コロナ対策

 

◎玉野市のツイッターで混雑状況を発信する。

 

◎シャワー室の使用を禁止し、シャワーを屋外に設置する。

 

◎更衣室を増やして、一度に利用する人数を半分にする。


駐車場

渋川観光駐車場  
  駐車台数:493台
  駐車料金:1時間につき100円(上限1000円)
  営業時間:9:00~17:00 

渋川海水浴場

〒706-0028 岡山県渋川 渋川海岸

 


最後に、我が家の渋川の思い出を一つ・・・

娘が3歳の時に5歳のいとこのKちゃんと一緒に渋川海水浴場に遊びに行きました。

浮き輪でちゃぷちゃぷ水遊びしたり、砂山を作って遊んだり

二人とも、きゃっきゃと笑っていて、楽しそうでした。

しばらくすると、Kちゃんがトコトコやってきて

「おばちゃん、ぼくなあ、赤いひしゃくを埋めたんよ。どこにあるか、わからんじゃろう。」

と、得意げに言っていました。

周りを見ても砂浜はどこも同じで、全くわかりません。

「すごいねえ。おばちゃん、ぜんぜん分からんわぁ」

Kちゃんは、やったー、と大喜び。

「で、どこに埋めたの?」

すると、Kちゃんは、にっこり笑って、

「ぼくも、わからん!」

え、え~!!

・・・あれから18年、広い渋川のビーチのどこかに、

今も赤いひしゃくが埋まっています(笑)

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今では、世界中で使われている点字ブロック。

視覚に障害がある人の安全を守る大切な道しるべです。

この点字ブロックが、日本人の発明だとご存じでしたか?

岡山市中区の原尾島交差点のそばに、

「点字ブロック発祥の地」の記念碑が立っています。

昭和42年(1967年)3月18日、この地に最初の点字ブロックが

設置されました。

この場所のすぐ近くに、岡山県立岡山盲学校があります。

そして、原尾島交差点を東西に走る道路は

今は国道250号線と呼ばれていますが(2号線バイパスができたため)、

当時は、国道2号線として岡山一の交通量の幹線道路でした。

盲学校に通う多くの子供たちが、国道2号線を渡ったり、

2号線沿いの道を歩いて学校に通っていました。

当時岡山市内で旅館業を営んでいた三宅精一さんは

あるとき、横断中の視覚障害者のすぐそばを、

車が猛スピードで走り抜ける場面に出くわします。

事故になっても不思議でない状況でした。

なんとかしなければ、と、三宅さんは思いました。

視覚障害のある人が、危険箇所や安全地帯を知ることができる方法はないかとを

三宅さんは考え続け、40年1月、足の裏で危険を察知させることを思いつきました。

そして、昭和42年(1967年)3月18日に、

旧国道2号線原尾島交差点付近の歩道の横断歩道のある場所に

世界で初めて点字ブロック230枚が敷設されました。

点字ブロック発祥の地の記念碑には、当時の点字ブロックが埋め込まれています。


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最初の点字ブロックは、コンクリート製でした。

写真を見てわかるように、色はグレーで、地面のアスファルトの色に近く、

視覚障害の人には、見分けにくいものでした。

点字ブロックを踏めば足の裏で感じることはできますが、

どのあたりに点字ブロックがあるのかを見分けるのが難しかったのです。

昭和44年、点字ブロックに黄色の着色が施されました。

これで、弱視の人にも見分けやすくなりました。

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最初にできた点字ブロックは、

丸いぽつぽつのついた「警告ブロック」だけでしたが、

昭和50年になると、線状の突起のある「誘導ブロック」ができました。

警告ブロックの方も年々改良がくわえられていきました。

三宅精一さんは点字ブロックを日本中に普及させ、

目の不自由な人の安全な暮らしをサポートしたいとの思いから、

1965年に安全交通試験研究センターを開設しました。

点字ブロックを普及させたい一心から、

新しい道路や歩道橋ができるたびに点字ブロックを贈呈していので、

安全交通試験研究センターの経営は常に苦しく、

一時は破産寸前にまで追い込まれました。

しかし、三宅精一さんや岡山県盲人協会の人たちが普及活動に力を入れたおかげで

点字ブロックは1970年ごろからだんだんと使われるようになってきました。

現在では150か国で点字ブロックが使われているそうです。

そして、今も、さらに便利な点字ブロックが研究開発されています。


三宅精一さんは1982年に56歳という若さで亡くなりましたが、

彼の思いは、今も世界中の国々で受け継がれています。


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